2024/01/14 13:35

先日 YouTubeでみうらじゅんさんの10年くらい?前のラジオ番組を聞いているうちに、自分はどんな子供だったっけ?と思い、記憶を遡ってみた。

うちは父が東京で修行をして地元に戻り、江戸前鮨やさんを営んでいた。自宅兼店舗だったからいつも父母はそばに居たけど、めまぐるしく忙しそうだった。
大きな釜で炊いた米を酢飯にしてゆく作業、仕入れの魚を乗せたトラックに乗り魚を吟味したり、小さいけど生け簀のメンテナンスしたり、車での出前や桶の回収、宴会、時には酔っ払いのお客さん、、そんなのをいつも近くで見たり感じたりいた。
記憶にはないけどお客さんが連れてきたライオンの赤ちゃんを私が抱っこしたこともあるらしい。
そしてお店が閉まるのはいつも夜中だったから、居間で寝てしまっている私は夜遅くに起こされて、よく繁華街の焼肉屋さんやラーメン屋さんに連れて行かれた。

そんな ”日常がエキサイティング“ ? な暮らしだったから、女の子が憧れるようなおままごととかぬいぐるみにはほぼほぼ関心がなく、泥を捏ねたり、草を潰して色を作ったり、昆虫を捕まえたり(今は苦手)、、何か面白いことはないか?といつも外で遊んでる子だった。

でもある日、リカちゃん人形が空前の大ブームになって、自分も持ってみたくなった。
それでどういう経緯かは覚えてないけどある日、自分のリカちゃんを手にいれた。もちろん着せ替えの洋服や、ハウスみたいなものは持ってないから本当にポツンと一体だけ、リカちゃん人形。
余計にそれをその後どうやって遊んだらいいのかがわからない。笑。
そこで私は気持ちのおもむくままにリカちゃんの美しい赤毛の髪を、肩の上あたりで一直線にバッサリ切ってしまった、、ショートカットのリカちゃんになると思って。
が、、、髪はバサっと横に大きく広がりまとまらない、、、収拾不可能になって、、、おしまい。
私のリカちゃん人形人生はあっという間に去った。笑。


今思えば、私はリカちゃんを ”持っている” ということよりも、”リカちゃんてなんぼのものなの?”  ”こうしたらどうなるの?” 的な、実験目線の気持ちが圧倒的に強かったと思う。
その感覚は大人になるまで、そして大人になってからもなお、ありとあらゆることに出ているおかげでモノづくりしているんだろうなぁとも思う。

なにが言いたいのかというと、人が生きてきた道のりを振り返ってみるのはいいな、と思うこと。
自分のアイデンティティーを探ることは、なんで今自分がこんなことをしているのだろう?したいと思うのだろう?ということがある人には何かが見えてくる作業のひとつなのかなって思えた。